転換点「王と宮女」:「赤い袖先」中巻・第二部

原作小説

宮殿を出たドギムはどんな生活をしていたのか。史実を含め、ドラマとの違いが印象に残る十章です。

恩彦君(ウノングン)の屋敷

宮殿から出されたドギムが働くことになったのは、懸録大夫(ヒョンロクテブ)≒王族の私邸。のちにドギムは、貞純(チョンスン)大妃の口利きによるものだと知る。

この私邸は、サンの異母弟・恩彦君(ウノングン)の屋敷。先だってホン・ドンノ(グギョン)が亡き元嬪(ウォンビン)の養子に迎えた完豊君(ワンプングン)の住まいでもあった。

ドギムに付き添ってきたソ尚宮の話から、両班たちの間で元宮女を妾にすることが多いとわかる。このようなことを防ぐため、大妃はドギムを恩彦君の屋敷へ送った。

ドラマでは、サンが妹・清衍(チョンヨン)郡主(クンジュ)の屋敷で生活できるように口を利いた設定

北村(プッチョン)にある屋敷は、予想より質素な佇まいで、白髪混じりの女性(ヨンエ)がドギムを出迎える。ヨンエの案内で、恩彦君と完豊君に挨拶をする。恩彦君はサンより2歳年下で、若々しい印象。完豊君は10歳くらいのわんぱく盛り。

落ち着いたら手紙を書くように、との言葉を残しソ尚宮は宮殿へ戻っていく。

別れの挨拶もできないまま(夜明け前に出宮したため)新しい屋敷に移ったドギムは、ぐっすりと眠ることができない。ヨンエはそんなドギムを気遣う。ドギムは別れの前のサンとの口づけを思い出し、心が揺れる。

ヨンエは、義烈宮=暎嬪(ヨンビン)李(イ)氏(サンの実祖母)に仕えていた宮女だった。そのため、サンが幼い頃も、また今の孝懿(ヒョイ)王后と婚姻の儀を挙げた時も覚えていた。行く先々で義烈宮との縁を感じるドギム。

ヨンエは、「義烈宮がずば抜けて美しかったこと」「恩彦君は血のつながりはないものの義烈宮に似ていること」「サンは景慕宮=思悼(サド)世子に似ていること」「サンの性格は父の景慕宮よりも、母・恵慶宮に似ていること」などを語る。

ドギムは思い切って、ヨンエに「景慕宮=思悼(サド)世子の病」について尋ねる。ヨンエの答えは「知らない方が良いこともある」というものだった。

完豊君(ワンプングン)

ドギムの仕事は、完豊君の世話が中心となる。完豊君も若いドギムに懐く。

仕事が一段落したところで、宮殿から届いた手紙を読むドギム。涙の跡があるヨンヒ、ソ尚宮や同室となったヨンヒの様子を知らせるボギョン(ヨンヒの恋には全く気づかず)、小言で埋まるソ尚宮、ドギムが宮殿から出されることになった責任を感じるギョンヒ、それぞれの言葉が並ぶ。

ギョンヒは、貞純(チョンスン)大妃に自分を救出するためにドギムが取った行動を話していた。(そのため大妃がドギムの居場所を探したこと、サンに対しても厳しい言葉で接する様子などが分かる)

ドギムは手紙を読んだ後、再び仕事に戻る。そこに完豊君が「かくまってくれ」と走ってくる。蔵に完豊君に入れ、訪ずれた客を迎えると…年配の男性の後ろにいたのは…ホン・ドンノ(グギョン)だった。

名誉職で宮殿を出されたとはいえ、ドンノ(グギョン)の存在感は大きく、恩彦君の屋敷ですら、我が物顔に振る舞う。そしてヨンエに「我が甥=完豊君」の居場所を尋ねる。

ヨンエから、ドンノ(グギョン)に気づかれないよう完豊君を連れ出すように言われたドギム。川辺で完豊君と過ごす。幼い完豊君は「危うい立場の恩彦君は、客を迎えるのが嫌なこと」「年配の男性は訓練隊長のク・サチョであること」「もう一人は”王の次に身分の高い人物であり、自分にとって外戚となること」そして「自分が仮東宮になった*こと」を無邪気に話す。

*この頃、国王であるサンに世継ぎがいないため、側室の養子となった完豊君(ワンプングン)が後継者となり得る

このことは、好むと好まざるとにかかわらず、恩彦君・完豊君親子が政争に巻き込まれる危険性を意味する

その一方で、自分の立ち回り方次第では父・恩彦君の命にも関わると知っている完豊君。できるだけホン・ドンノ(グギョン)と顔を合わさないようにしていたのだった。

そこへドンノ(グギョン)がやって来て、完豊君に声をかける。挨拶を交わした後、完豊君には屋敷に戻るように伝え、ドンノは「知っている宮女」に話があると言う。

ドンノ(グギョン)は、ドギムだけでなく自分も不意打ちを食らったのだと語る。

「信じてもらえず、陰で見張られていた」

「すぐに辞職の上疏をあげるように言われた」

「もともと使い捨ての駒だったから、過ちを正されることがなかった」

またドギムに対して、「サンは好きな女性のためではなく、王として選択するしかなかったこと」「それを恨むのは筋違いである」と話す。

さらに亡くなった妹・元嬪(ウォンビン)の死に胸を痛めつつ、今でも「もし、世継ぎを産んでいたら」という欲望と失った権力への未練があることも口にする。

ヨンエの話

その夜、寝つけないドギムにヨンエが声をかける。ドギムがホン・ドンノ(グギョン)と知り合いであることを知り、噂になるようなことはないか心配する。また、恩彦君(ウノングン)を気の毒に思い、米などを置いていく両班がいるという話もする。

それは、サンそして恩彦君の父・景慕宮=思悼(サド)世子を守れなかったことへの贖罪なのだと語り始める。

英祖(ヨンジョ)の人物像

先王・英祖(ヨンジョ)は聖君であり、妃たちにも優しかった

繊細な人物で、誤解を解くのは容易ではなかった

少食をよしとした(痩身を評価していたため、大柄のボギョンは注意を受けていた)

英祖(ヨンジョ)のこだわり

悪い言葉を聞くと、きれいな水で耳を洗う*こと

宮殿の門も吉凶それぞれあったこと

*映画「思悼」には、ソン・ガンホさん演じる英祖が、思悼世子(ユ・アインさん)の言葉に腹を立て、耳を洗う場面があります

そして

繊細で気難しい英祖(ヨンジョ)と豪放な思悼(サド)世子の溝が、時を重ねるほど広く深くなっていった

英祖は息子を苛めているかのように残酷になり、暴言を吐くこともあった

ことを語る。

その話を聞き、サンが「父の病」と言ったことを思い出すドギム。ヨンエが語る「病」とは、心の病だった。

幽霊が見えると怯える

井戸に飛び込もうとする

宮女だけでなく多くの女性に手を出す

仕えていた内官や宮女を斬る

しまいには、母・義烈宮付きの宮女も殺めた

さらに、「父と息子の間を取り持っていた和平(ワピョン)翁主が亡くなったことで、ふたりの間は修復できなくなった」と付け加える。

そして、「サンが結婚できる年齢まで成長した夏、英祖が思悼世子に死を命じた」と語るヨンエ。ただ彼女は最後まで「我が子(思悼世子)の死に義烈宮を『利用した』真相」は口にしなかった。

今でも「義烈宮が難産のうえ、思悼世子を産んだ日のこと」「我が子の誕生を、英祖がたいそう喜んだこと」を思い出すというヨンエ。

ヨンエ
ヨンエ

どうして幸せは永遠でなく、一瞬で終わってしまうのかしらね

「赤い袖先」中 カン・ミガン著

原作では、このヨンエの話を通じてドギムは宮殿では語られることのなかった”米びつ事件”の経緯を知ることになります。

雨水(うすい)の頃

年が変わり、季節は雨水*(うすい)春を待つ頃となった。ドギムは自分自身の記憶が薄れていくことを望み、サンもそうであってほしいと願う。

*2月中旬から3月初旬

清衍(チョンヨン)郡主(クンジュ)の屋敷を訪れたドギム。

彼女の訪問を心待ちにしていたチョンヨン郡主は、もてなしつつ愚痴をこぼす。そしてドギムに小説を書くことを勧める。子育てで悩みごとの多い郡主にとって、ドギムと過ごす時間はよい気晴らしでもあった。

そして、前日に宮殿でサンからドギムの様子を尋ねられたことを話す。郡主の言葉に、帰りを急ぐドギムの心は落ち着かなくなる。うっかり凍った水たまりで滑ったドギムを支えたのは、ホン・ドンノ(グギョン)だった。

ドンノ(グギョン)はドギムに、サンが新しい側室を迎えるため揀択(カンテク)令が出されたことを話す。

ホン・ドンノ
ホン・ドンノ

私の妾になるつもりはありませんか

「赤い袖先」中 カン・ミガン著

酔っ払いの戯言かとあしらうドギム。素面のドンノ(グギョン)は臆面もなく「(出会いが違えば)すぐに自分のところへ嫁いできただろう」と付け加える。ドギムは、その言葉も一蹴する。

妙な感じを受けたドギムがドンノ(グギョン)の真意を探ろうとすると、「別れの挨拶だと思って」と背中を向けた。

5日後。吏曹判書(イジョパンソ)の上疏をきっかけにホン・ドンノ(グギョン)の流刑を求める声が大きくなった。サンはドンノ(グギョン)の官職を取り上げ、故郷に帰るよう命じた。

この騒ぎを耳にしたドギムは、サンが事前に上疏を知っていたであろうこと、上疏自体もサンの計画の一部だと思われること(サンは、寵臣へ私的な手紙を書く*)を思う。

史実でも、正祖(チョンジョ)=サンは、沈煥之(シム・ファンジ)と口裏合わせをする書簡を多数送っていたことが分かっている

新たな任務

3月のある日。ソ尚宮がドギムのもとを訪れる。王命として「ドギムが宮殿に戻ること」を伝える。

新しく選ばれた側室に仕える宮女として、ドギムが選ばれたのだった。渋るドギムに、ソ尚宮は「貞純(チョンスン)大妃がドギムを宮殿に戻すことを強く望み、サンは渋々それに従ったこと」を話す。

それでも首を縦に振らないドギムに、ソ尚宮は「友達には会いたくないのか」とドギムにとって最も大切な存在を伝える。

伝令から半月後。宮殿に戻ることになったドギムに、ヨンエは声をかける。

お前といるとなぜだか義烈宮様を思い出すわ

よくない兆しを感じたらうまく避けてほしいわ

義烈宮様はそうできなかったのよ

「赤い袖先」中 カン・ミガン著

ドラマでは、足の不自由な老齢の宮女・パク尚宮(ヨンヒの師で、思悼世子の保姆尚宮だったという設定)が、過去を知る人物として登場します。原作では、義烈宮=暎嬪(ヨンビン)李(イ)氏に仕えていたヨンエが、ドギムに過去の出来事を伝えています。

屋敷を出る前に、ドギムは半年もの間ともに暮らした人々へ精いっぱいの贈り物を渡す。主人である恩彦君(ウノングン)は淡々と別れを告げ、幼い完豊君(ワンプングン)は涙でぐちゃぐちゃになりながらドギムを引き止めようとした。

宮殿へと戻る前、ドギムが足を伸ばしたのはホン・ドンノ(グギョン)の居所。挨拶をするために寄ったドギムは、ドンノ(グギョン)が横城(フェソン)へ流刑*になることを知る。

史実でも、洪国栄(ホン・グギョン)は1780年に横城(フェソン)へ流刑となり、翌年、その地で死去する

一方、ドンノ(グギョン)は、ドギムがふたたび宮殿に戻ると知り、ショックを隠せない。彼女が立ち去った後をじっと見つめ、草履を引きずりながら家の中へ入っていった。

ドラマでも、ドギムがホン・ドンノ(グギョン)に別れの挨拶を告げる場面があります。さらに、死を覚悟したドンノ(グギョン)が、サンに宛てこれまでの悪行を詫びるとともに、「禁制本を破ってサンを助けたのが幼いドギム*だった」と手紙を書く場面があります。

*ドラマ「赤い袖先」での描かれ方

  

この「転換点」は、ドラマでは描かれなかった史実と絡めた人物描写が多くあります。近年、ソン・ドギムこと成徳任に関する史料が発見されたおかげで、「イ・サン」とは異なる「赤い袖先」の原作小説やドラマに登場するドギムの姿が見られると聞きました。

小説を読み進めると「どこまでが史実で、どこからが作者カン・ミガンさんの想像力によるものなのだろう?」と探求したくなります。

前の話:「王と宮女」破局②

次の話:「王と宮女」亀裂

ポスター・画像出典元:MBC番組公式サイト

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